敏感になる
自然の中に入っている回数が多いとさまざまなことに敏感になるなって、最近気づきました。
森や林の中を散歩したり山に登ったりを何度もしていると、何気ない日常生活の中でその辺に転がっているものごとの大切さに気づきやすくなります。
食べ物や水、自分自身が出すゴミ、あらゆる行動、そういったものの流れの中にある出来事や結果(であろうという想像も含め)にとても気がいきます。
山に登りに行く場合、移動手段は大概車を使います。
当然ガソリンを使い排ガスを出しながら登山口に向かいます。
その行為は自然に触れ合いに行きながら、自然を汚染していることになります。
山が好き自然を守りたいと言いながら、逆な行為をしています。
僕の行為は矛盾しています。
また、僕が出すゴミの種類の多さも気になるようになりました。
自然に還るもの、永遠にゴミとして残るもの、なんとかしてリサイクルできるもの。
より良い選択ができるように、使うものの素材確認を以前よりするようになりました。
こういった気づきは、山に行き続けてきたから敏感になれたと思っています。
昔(といってもそれ程でもない昔)に比べて明らかに山頂の気温が高いです。
特にここ数年はとても感じます。
10月に登っても前ほどな寒くはなく、冬は雪が少なく夏の残雪も少ない。
特に夏は異常に日差しが痛く感じます。(気のせいかもしれませんが感覚です)
最近の登山ではなんとなく些細な違いを毎回感じるんです。
変な気配を...
「これは何かおかしい」
そんな体感をして下山し日常を暮らしていると、その体感があまりないのです。
そこで「これは何かおかしい」が増幅するんです。
この気づきに敏感になると何か行動をしなければと考え、少し生活が窮屈な気持ちになるのですが、早めに気づき少しでも良い方向にいけるのであれば良かったとも思います。
未来の子どもたちや自然環境の為にも、今以上に自然の中に入っていき(できるだけ矛盾している行動を減らす努力をし)感度をあげ、できることを少しずつやっていこう。
自然から得られるものは大きい。
多くの人が自然に触れる機会が増えてくると、さまざまな場面でより良い行動に繋がっていくのではないでしょうか。
少なくとも優しくなれるのでは。
(山で全然優しくない人に遭遇することはありますが......笑)
気づきのきっかけにはなると思います。
そこから少しずつ少しずつ。
ただ、問題はものすごい速さで進んでいます。